23歳で緑内障により視力を失ったが、意味のある人生を見つけた女性の物語

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[ad_1]元パラリンピック選手…初瀬勇輔さん(43)

障害者の就職を支援する元パラリンピック選手…初瀬勇輔さん(43)

 障害者の就労を支援する会社を経営しています。障害者本人から持っている能力を聞き取り、人材を求める企業に紹介するサービスです。活躍の場を求める人々と企業をつなぎ、多様性豊かな社会の実現につなげたいと思っています。

 大学進学を目指して浪人した19歳の時、右目の緑内障が判明しました。左目は見えていたのでそれほどショックはありませんでしたが、大学2年生だった23歳の時、左目も緑内障を発症しました。手術後、眼帯を取ると視界の中央部分が白くぼやけて文字が読めなくなっていました。入院先の病院に見舞いに来た友人の顔も判別できず、食事もうまく取れません。

 大学入学まで3年浪人しているので、高校時代の同級生たちは社会に出始めるような時期です。どんどん置いて行かれる中で目まで悪くなり、どんな人生を歩めばよいかわからず、絶望的な気持ちになりました。その時、心配した友人たちが、障害者手帳の取得や大学への通学といった日常生活をサポートしてくれました。

 約1年半後には、周囲の勧めで視覚障害者柔道の大会に出ることにしました。中学・高校時代に部活動で柔道に打ち込んでいた経験が生き、この大会で優勝したことが大きかった。仲間ができ、打ち込むものを見つけたことで、2008年の北京パラリンピックに出場できました。開会式で大きな拍手に包まれた時、自分を誇りに思いました。その後も競技を続け、10年のアジアパラ競技大会では優勝しています。東京パラリンピックを前に引退し、選手をサポートする側に回りました。

 一方で、06年初め、就職活動では障害者となった厳しい現実が突きつけられました。100社以上に応募しましたが、面接までこぎつけたのはたったの2社。障害者雇用枠での入社を目指していましたが、その難しさに驚きました。

 翌年、人材派遣会社の特例子会社に入ることができましたが、そこでは障害の種類や重さが様々な100人以上の人々が働いていました。間近で仕事ぶりを見ると、得意分野がよくわかります。手すりを設置したり、受け入れ先で社員研修をしたりするなど必要な配慮があれば、活躍できる障害者は多いと実感しました。

 こうした障害者が就職活動で抱えるハンデを取り払いたいという思いから独立し、活躍する場の創出を目指す会社「ユニバーサルスタイル」を設立しました。

 就職希望者への聞き取りの際、「私も障害があるので色々教えてください」と言うと、相手も胸襟を開きやすくなるようです。年間20~30件ほどの雇用につなげていますが、その後に就職先で活躍していると聞くと、「自分が目が悪くなったことにも意味があったのでは」と思い、うれしくなります。

 今はパラリンピックを目指す選手たちの就職も手伝っています。彼らがメダルを取ったり、出場したりすると会社も喜んでいるし、良かったなと思います。

 「人材が不足している」と言われますが、眠っている人的資源はまだまだ多い。障害者がいることが会社の強みになっていく社会を目指して、前進を続けたいと思っています。(聞き手・長原和磨)

はつせ・ゆうすけ 1980年長崎県佐世保市生まれ。2008年北京パラリンピック柔道視覚障害男子90キロ級日本代表。11年にユニバーサルスタイルを設立し、障害者の就職や社会進出を支援する。23年7月から日本視覚障害者柔道連盟副会長。

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まとめ

初瀬勇輔さんのような成功者の話を聞くと、障害を持っていても自分の可能性を信じて努力すれば、大きな成果を上げることができるという希望を感じます。彼のような人が増えれば、社会全体が豊かになることでしょう。

よくある質問

質問:どのような障害者がユニバーサルスタイルに登録できますか?

回答:視覚障害、聴覚障害、肢体不自由など、あらゆる種類の障害者が登録できます。弊社では、能力や適性に応じた適職を見つけるためのサポートを行っております。


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